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植村明美
植村明美
国立国会図書館の和風月名の説明によると、「木草弥生い茂る(きくさいやおいしげる、草木が生い茂る)月」とあります。
弥生は、元は「いやおい」で、それが変化していき「やよい」となったようです。
弥生の「弥(いや)」には、いよいよ、ますます、という意味があります。
「生(おい)」という字には、生まれる、生える、出る、茂るという意味があります。
長い冬が終わり、いよいよ草木が芽生える月ですよ、ということですね。
さて、3月の別名の弥生の意味はわかりましたが、日本史の時代のひとつである「弥生時代」も同じような意味あいなのでしょうか。
確認したところこちらは全く別のストーリーがありました。
1884年(明治17年)3月に、東京の弥生町(今の文京区弥生町)にある貝塚から、赤い壺が見つかりました。
当初は縄文時代のものと思われていたようですが、研究が進むにつれ縄文時代とは別の特徴があることなどわかり、発見された土地の名前に因み「弥生式土器」と呼ばれるようになりました。
その後、かなり時間が経過した大正時代になってから、この土器が使われていた時代は、その前後の縄文時代とも古墳時代とも違う生活様式があったことがわかり「弥生時代」と呼ばれるようになったということです。
発見された場所には、今では東京大学の弥生キャンパスと本郷キャンパスの間くらいに石碑が建っているそうです。
当時の研究者はもちろん帝国大学(現東京大学)の人が多かったようですが、日本の頭脳が集まるような場所で出土されるとは、なんだか不思議な巡りあわせだなあと感じます。