内田絵梨
早くも三月。卒業式のシーズンとなりました。
今回は卒業式の雑学をいくつかご紹介します。
卒業式の「呼びかけ」の始まり
「楽しかった、修学旅行」
卒業生全体で学校生活を振り返り復唱する「呼びかけ」は小学校の卒業式の定番と言っても過言ではないでしょう。
この「呼びかけ」は1955年に群馬県で始められたとされています。
それまでの卒業式は勅語奉読、町長祝辞など形式的な進行で、感動的を得られるようなイベントではありませんでした。
きっかけとなったのは群馬県出身の教育者で校長だった斎藤喜博(さいとう きはく)氏の学校改革です。
齋藤氏は群馬県佐波郡島村の島小学校という小さな小学校に赴任した際に、自主性のない生徒や疲れ切った教師を目の当たりにして、学校の状況を変えるべく様々な学校改革を始めました。
例えば、通信簿の5段階評価をなくしたり、子供たちが計画・進行して運動会を行ったり。
教師の休みを取りやすくしたり、教員会議の終了時間を決めて時間内に終わらせるようにしたり。
そんな学校改革の集大成が卒業式でありました。
齋藤氏には卒業式は子どもたち一人一人が作り上げる行事であってほしいという思いがありました。
そこで、「おめでとう、六年生」という台本を作り、卒業生、在校生、教師、母親という参加者全員がセリフを発する卒業式を行ったのです。
教師と母親のセリフがなければ、現在の「呼びかけ」に近しいスタイルですね。
第二ボタンの始まり
第二ボタンを大切な人に渡すというルーツは戦後である1960年に公開された『予科練物語 紺碧の空遠く』という映画のワンシーンからきているという説があります。
この映画には特攻隊に志願する若き練習生が出てくるのですが、出撃前に好きな女の子に軍服の第二ボタンを引きちぎって渡します。
軍服は国からの支給品。第一ボタンを取ってしまうとだらしなく見えるため、彼女に託したのが第二ボタンだったのです。
このシーンが話題となり、「卒業式の第二ボタン」が定着したと言われています。
また、1983年に発売された柏原芳恵さんの『春なのに』のヒットも第二ボタン定着の後押しをしました。
「記念にください ボタンをひとつ」という歌詞がとても印象的です。
ちなみに作詞作曲は中島みゆきさん。さすがですね。
卒業式にはなぜ袴を着るのか
卒業式に女子大生が袴を着るのも定番です。
女性の袴が定着したのは明治時代です。
もとは宮中の装束であった袴は「女袴」へと形を変えて、学習院女子大学の前身である「華族女学校」をはじめとした、上流階級の子女が通う学校の制服として採用されるようになりました。
当時の人々にとって女学生の袴姿は「学ぶことができる女性の象徴」だったのです。
学校の制服として袴を着る機会がなくなった今でも、そんな「あこがれ」の名残として卒業式の袴は存在しているのです。
参考:livedoorニュース(卒業式の「よびかけ」の歴史ってどんなもの?) / 雑学ネタ帳(卒業式の「呼びかけ」が誕生した経緯) / tenki.jp(卒業式に、制服の第2ボタンを渡すのはなぜ?) / きものレンタルwargo(卒業式に袴を着る意味は?袴の歴史も併せて紹介します)