渡部賢宏
フィリピンの現地法人HARUの渡部社員からのHARU便りです。
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先の大戦における日本人戦没者数は、国別でフィリピンの約52万人が最多となり、今なお約40万柱のご遺骨がこの地に眠ります。
HARU旧住所のマバラカット市と隣町バンバンも戦争の記憶が色濃く残る地域です。
マバラカットは第一航空艦隊司令長官、大西瀧次郎中将の命により神風特別攻撃隊の第一陣(敷島隊の関行男大尉ら)が出撃した飛行場跡があり、祖国を護るため散華した軍神ゆかりの地。
バンバンでは地の利を活かし、設営隊によって山の斜面に洞窟陣地が構築され、旧海軍司令部壕がひっそりと残されています。
私設博物館の館長で日本滞在歴もあるロニーさんは語り部としての活動以外にも、史跡の維持管理や遺骨収集、ご遺族との交流を続けられています。
渡比の際はロニーさんの戦跡ツアーをぜひご体験ください。
注1:大西瀧次郎(おおにし たきじろう)
明治24年(1891年)6月2日 ~昭和20年(1945年)8月16日は、日本の海軍軍人。海兵40期。神風特別攻撃隊の創始者の一人。
注2:敷島隊
特別攻撃隊の総称を神風隊と言い、その下に敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊、及び菊水隊があった。名前の由来については、「敷島の大和心を人とはゞ朝日に匂ふ山桜花」の一首よりそれぞれの隊名を選び、菊水隊は楠公父子の七生報国の精神にちなんで名づけたとの記述あり。
Bamban Museum of History / Bamban WWII Museum
https://www.facebook.com/bambanmuseum
館長:Rhonie C. Dela Cruzさん
https://www.facebook.com/rhonie.d.cruz
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今年も8月15日がやってきます。
日本が太平洋戦争の最後の砦として戦いをしていたフィリピンの地。
そこで終戦後、敵国でありながら日本の特攻隊に関わる博物館や記念碑を建立されているということ、そこで散っていった多くの日本の若者、フィリピンの人々、色々なことを学ばないといけないなという思いになりました。
出典:
Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A7%E8%A5%BF%E7%80%A7%E6%B2%BB%E9%83%8E
国立国会図書館レファレンスデータベース
https://crd.ndl.go.jp/reference/modules/d3ndlcrdentry/index.php?page=ref_view&id=1000237317
この記事を書いた人
PHN:渡部賢宏(フィリピン)
編集
広報宣伝班:植村明美