内田絵梨
夜空を彩る花火。
ヒューと打ちあがって、ドンと華やかに咲き、余韻を残しながら散っていく花火は私たちの耳と目を楽しませてくれます。
今回はそんな花火の豆知識について調べてみました。
花火の歴史
花火の歴史は諸説ありますが、古代中国の狼煙(のろし)が原型であるとされています。
遠くの人に何かを知らせる合図として使われた狼煙が、火薬技術の発達に伴って音を付けたり色をつけたりすることができるようになったのだとか。
現在のような「見て楽しむ」花火になるのは14世紀後半のイタリアのフィレンツェでのこと。
すぐにヨーロッパ中に広まって王侯貴族の間で結婚式や戴冠式で打ち上げられるようになりました。
日本に花火が伝わったのは戦国時代とも江戸時代とも言われています。
日本で初めて花火を見た人物として有名なのは徳川家康ですが、実は家康よりも前にキリシタン大名の大友宗麟がポルトガルのイエズス会宣教師に花火を打上げさせたという記録や、伊達政宗が米沢城で唐人による花火の鑑賞を行ったという記録があります。
現在では、日本で初めて花火を見た人物は大友宗麟ではないかとされているようです。
打ち上げ花火の種類
打ち上げ花火は「割物(わりもの)」「半割物(はんわりもの)」「ぽか物」と、大きく分けて3種類に分けることができます。
割物
日本でもっとも一般的な打ち上げ花火です。
丸く大きな花を咲かせ、体中に伝わるようなドーンとした大きな音を響かせるのが特徴です。
半割物
半割物はいくつもの小さな花火が同時に開くのが特徴です。
小割物とも呼ばれ、割物とぽか物の中間的な要素を持つ花火として知られています。
ぽか物
空に打ち上げられた花火玉が「ぽかっ」と2つに割れて、花火の色や光のもとになる星や仕掛けがこぼれ落ちるのがポカ物です。
「たまや」と「かぎや」の由来
花火が打ちあがった時に「た~まや~」「か~ぎや~」という掛け声を聞いたことがある人も多いでしょう。
この掛け声は江戸時代に始まったもので、漢字で書くと「玉屋」と「鍵屋」になります。どちらも花火師の屋号です。
鍵屋は萬治2年(1659年)に初代・弥兵衛が日本橋横山町で創業した花火屋で、現在にいたるまで15代に渡り続いています。
玉屋は文化5年(1808年)に鍵屋番頭の清七にのれんわけして、両国吉川町で起こした花火屋です。
鍵屋ではお稲荷さんを信仰しており、守護神のお稲荷さんの狐が、一方は鍵を、一方は玉をくわえていたことから「鍵屋」という屋号にしたそうです。
「玉屋」はもう一方のお稲荷さんがくわえていた玉にあやかった屋号です。
古川柳に「花火屋は 何れも稲荷の 氏子なり」というものがありますが、いかに「鍵屋」と「玉屋」が花火屋として知られていたかが分かる一句です。
さて、「たまや」「かぎや」の掛け声の由来は隅田川花火大会の起源である両国の川開きの大花火にあります。
両国の川開きの大花火は、大川の上流を玉屋が、下流を鍵屋が受け持って行われました。
見物客は、自分がひいきにしている花火屋の花火が上がった時にそれぞれ屋号を叫んだのだとか。
「玉やだと 又またぬかすわと 鍵や云ひ」という川柳が詠まれるほど人気を博した玉屋ですが、天保14年(1843年)の5月17日の夜に店から火事を出してしまいます。
店は全焼し、さらに周辺の町にも飛び火して半丁ほども類焼。
5月17日は将軍家慶の日光参拝の前日であったため、玉屋は財産没収のうえ江戸追放、家名断絶という厳しい処分を受けました。
玉屋は一代であっけなく消えてしまったのです。
それでも「かぎや」と並んで「たまや」の掛け声が現在にも残っているのは、それだけ素晴らしい花火屋だったということでしょう。
今年の夏も日本では「鍵屋」「玉屋」の掛け声が響くに違いありません。
参考:関西電力(花火について) / 徳島県火薬類保安協会 / 佐藤狼煙(花火の種類) / 株式会社宗家花火鍵屋(鍵屋の歴史) / Anniversary Cruise(あれってどういう意味?花火の掛け声の謎・・・) / 東京のれん会(江戸の歳時記|8月 江戸の花火)