TOP / 言葉 2018.08.02

歴史用語って難しい?! 乱と変の違い

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日本語、歴史

夏を制する者は受験を制す!
夏は受験の天王山!

受験生に対する煽り文句が、蝉しぐれのように降り注ぐ季節となりました。
今回は、「学生の頃に知っていたらもう少し勉強が楽になっていたかしら?」と思うような歴史用語に関するお話です。

天王山に関する小噺

本題に入る前にさっそく横道にそれますが、「そもそも天王山って何よ?」という疑問から解消しておきましょう。
スポーツや政治などの重大な試合や局面の比喩に使われることが多い「天王山」。
京都府にある山の名前です。
名前の由来は、山の中腹に牛頭天王を祀る山崎天王社があることからきています。
ちなみに現在、山崎天王社は自玉手祭来酒解神社(たまでよりまつりきたるさかとけじんじゃ)という舌を噛みそうな名前に改称しており、「さかとけさん」と親しまれているとか……。

この天王山。明智光秀と羽柴秀吉(豊臣秀吉)が戦った場所であります。
本能寺の変で織田信長を討った明智光秀と、その仇討ちを果たそうとする羽柴秀吉。ご存知、山崎の戦いの中の一戦です。
この天王山での戦いは、一時は崩壊寸前まで追いつめられた秀吉が、一進一退の後に光秀方を押し返すことに成功した、という内容でした。
これがいつしか「秀吉方が天王山を占拠して光秀方を牽制したことが戦いの帰趨を決めた! 天下分け目の天王山だ!」と言われるようになり、人々は秀吉と光秀とが争った戦をまとめて「天王山の戦い」と呼びました。
「山崎の戦い」は長い歴史の中では「天王山の戦い」と呼ばれていたのです。
現代において「山崎の戦い」が一般的なのは、実は天王山の争奪戦は戦局にあまり大きな影響を与えなかったことに由来します。
まあ、天王山での戦いが歴史に与えた影響力はどうあれ、「天下分け目の天王山」として人々に長らく親しまれてきたのには間違いありません。
勝敗や運命の重大な分かれ目やを表わす慣用表現として「天王山」は今でも使われています。
(ちなみに山崎の戦いは「洞ヶ峠」、「三日天下」という慣用表現も生み出しています。)

乱と変の違い

さて、今までの話で「本能寺の変」と「山崎の戦い」という用語が出てきました。
これくらいメジャーだと覚えられるのですが、受験生を悩ますものの一つに歴史用語の暗記があると思います。私もすごく苦しめられました。
日本史の授業はおもしろかったのですが、先生が話した小噺ばかり頭に残っているんですよね。
そこで今回とりあげるのが、「乱と変の違い」です。学習院大の安田元久氏による4つの分類が分かりやすいのでそれをご紹介しますね。

4つの分類

乱とは、言葉の通り「世の乱れ」「内乱」です。

【1】政治権力に対する武力による反抗、すなわち叛乱事件として、
藤原広嗣の乱 薬子の乱 承平天慶の乱 平忠常の乱 保元・平治の乱 和田氏の乱 三浦氏の乱 応永の乱 上杉禅秀の乱 大塩の乱 佐賀の乱

【2】政治権力の収奪による内乱状態
壬申の乱 承久の乱 元弘の乱 南北朝の(内)乱 永享の乱 応仁・文明の乱

変とは「凶変」「政治改革の陰謀事件」を差します。

【3】政治権力者たる天皇・皇族、あるいは将軍などが獄逆・配流などに遭い、(一つの立場から見て)不当な立場に置かれた事件
承久の変 正中の変 元弘の変 嘉吉の変

【4】政治上の対立による陰謀事件
長屋王の変 応天門の変 承和の変 安和の変 鹿ヶ谷の変

まず区別が難しいのが①と④ですよね。
乱と変の呼称の差はなんなのでしょうか?

安田氏は

「事件の規模の大小にもよるが、①の場合には支配的政治体制の変革にも及びかねない反乱事件を含むのに対し、④はいずれも政治的支配層の内部におこった権力闘争であって、たとえ事件の発起主体が勝利を得ても、支配体制や支配権力の構造の上で大変革が期待されるといった性質をもっていなかった」

と述べています。

つまり、もし成功したら政治体制のどんでん返しが起こるかもしれない場合を乱従来の体制が続く可能性が高い場合を変と呼びます。

乱や変に関わる人々を整理するともっと分かりやすいでしょうか。

政治にたいして不満を持った農民や下級武士(支配されていた人たち)が朝廷や幕府(支配していた人たち)に対して起こした反乱を乱。
もともと政治に関わっていた貴族や役人、武士(支配者層)が天皇や将軍、大臣などの国のトップ(支配者層)に対して起こした内部闘争を変。

「被支配者層が関わっているか関わっていないかで、乱と変が使い分けられる」と言ってもよいかもしれません。

②はまさに内乱なので、乱と呼ぶこともすんなりと受け入れられます。
大きな勢力同士がぶつかる闘争で、国を二分するような戦はまず「乱」と言って問題ないでしょう。

③の変については、安田氏は

「その時点での権力者側から見ての変事であることは勿論である。しかし、それに加えて、天皇・皇室あるいは将軍を絶対的権威とする観念が基本にあり、そこに生起した「不当なる凶変」として「変」が用いられたという、特殊な用法があったことも否定できない」

と指摘しています。

天皇や皇室、将軍など(絶対的権力者)に不幸があった際は変としよう、という共通認識があったようなんですね。
実際に、「承久の乱」が「承久の変」として教科書に記載されていた時代もあり、これは内乱よりも皇室を重視した呼び方であるといえます。

 

乱と変。たった一文字の漢字ですが、この4つの分類方法を知っていると学習の助けになるのではないでしょうか?
ああ、タイムスリップして当時の私に教えてあげたいっ!
以上、「乱と変の違い」でした。

 

参考:安田元久(1984)「歴史事象の呼称について : 『承久の乱』『承久の変』を中心に」 /  QuizKnock【図解】日本史の「乱」と「変」、違いはコレだ!! / 毎日新聞 コトバ解説「乱」と「変」の違い / 語源由来辞典 / 山崎の戦い – Wikipedia

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