内田絵梨
東京では桜が満開。春爛漫。学生たちが新学期に胸躍らせる時期となりました。
今回の知っているようで知らない学ランとセーラー服についてのお話です。
学ランのお話
学ランは、皆様ご存知の通り、詰め襟の男子学生服です。
ブレザーの学校でも応援団は学ランだったりするのでしょうか?
おそらく一度は見たことがある服装だと思います。
ランってなに?
さて、学ランの名前ってなんだか少し妙じゃありませんか?
「学」の字はおそらく学生からきているのでしょうが、「ラン」は何の「ラン」なのでしょうか?
ランは江戸時代の隠語で洋服を意味する「ランダ」からきています。
鎖国時代の日本では、西洋といえばオランダ(和蘭陀)のことでした。そして一般的に洋服のことは「蘭服(らんぷく)」と読んでいました。
「学生が着るランダ」、「学生が着る蘭服」ということで「学ラン」という呼称がついたそうです。
モデルとなった服
今の学ランに通じる学生服の起源は、東京帝国大学が1886年(明治19年)に定めたものとされています。
その形は黒の詰め襟に金ボタン。陸軍下士官をモデルに作られました。
なんでもエリート意識を持たせる狙いがあったとか。
和装ではできなかった体操や、軍事訓練ができる学ランは、以後、中等教育以上の制服として普及していったのです。
セーラー服のお話
対するセーラー服は、ご存知の通り、海軍の水兵の服が起源です。
学ランが陸軍下士官モデルなことを考えると面白い対比ですね。
セーラー服の歴史
セーラー服のはじまりは19世紀初頭のイギリスです。当時のイギリス海軍では水兵の制服の規定は特にありませんでした。数ある甲板衣のうちの一つがセーラー服だったのです。
この服が一気に普及したきっかけはヴィクトリア女王にありました。
ロイヤルヨットの水兵の制服として揃えられたセーラー服を気に入った女王は、このデザインの子供服をあつらえ、王太子に着せて、1846年のクルージングでお披露目したのです。
イギリスでは、その後、子供服としてセーラー服が大流行! このブームは20世紀初頭にかけて世界的なものになりました。
そして子供が着るこのかわいらしい服は、もちろん女性服としての人気も集めていきます。
子供服として、女性服として、セーラー服が流行する中、1857年にこの服は正式にイギリス海軍の水兵の制服(甲板衣)となりました。
当時、世界一の海軍力を誇るイギリスの制服です。日本もこれにならって1872年に水兵の制服として採用しています。
セーラー服は、水兵の服、おしゃれな服という2つのイメージを持つようになるのです。
日本のセーラー服
日本で初めて、女子学生服としてセーラー服を採用したのは京都の平安女学院です。
1920年(大正9年)のことでした。このセーラー服はベルトで腰の辺りを締めるワンピース型でした。
当時の制服は和装が一般的だったため、かなり目新しく映ったことでしょう。
翌年には上下セパレート式のセーラー服を福岡女学院が採用しました。このセーラー服は「動きやすい体操服」として作られたもので、セーラー服にプリーツスカートという日本の制服のスタンダードを形作りました。
この動きやすいセーラー服は加速度的に日本中に広まっていきます。
そのきっかけの一つは1923年(大正12年)の関東大震災です。
これまでの和装と比べて、いざというときに逃げやすい洋装を子供たちに着せたいという思いが、現在の制服にも受け継がれているのですね。
おまけ
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参考:学生服と体操服のトンボ / 東京学校服協同組合 / 学研キッズnet