植村明美
数を数えるとき、日本語特有の呼び名があります。
ひとつ、ふたつ、みっつ、よっつ、いつつ……。それが日にちになりますと、ついたち、ふつか、みっか、よっか、いつか、むいか……。それぞれ数の呼び名と連動しているようですが、「ついたち」だけは全く関連性を感じられません。
では何故、1日は「ついたち」と呼ぶのでしょうか。
ついたちは漢字では朔または朔日と書きます。
陰暦では「朔」は月の始まる日、すなわち1日のこと、としています。月の始まりなので「月立ち(つきたち、つきだち)」と呼んでいたのが「ついたち」になったと言われます。
「朔」の字は象形文字で、左側は人の象形文字です。人がさかさまになった様子。右のつくりは月で、欠けた月の形の象形です。つまり、欠けていった月がもとへ逆戻りするということで1日のことを表すのです。
現代では朔の日のまったく見えない暗闇の月を新月と呼びますが、新月とは、もともとは朔の後に初めて見える月のことを指していました。陰暦二日までの月はほとんど見えないので、陰暦三日ごろの月、三日月が新月といえます。
旧暦では新月の日、つまり朔の日が暦月の始まりですからこの日は月が見えません。見えない月の位置を予測し、この日を暦の始まる日と決められるようになるためには現在のような進んだ天文学の知識が必要となります。
そうした進んだ知識に到達するまでは朔月は実際に月が見え始めた日、おおよそ三日月の頃から前にさかのぼって決めていたそうです。
さかのぼって決めていたことから遡るもこの「朔」の字を使っているのですね。
では月の終わりを晦日(みそか)つごもり(つごもり)と呼ぶのはどうしてでしょうか。
もともと三十はみそと発音して呼んでいたためひと月の終わりを三十日、晦日というようになりました。他にも三十代の人を三十路などといいますよね。
つごもりは月が隠れるから月籠り、つきごもり。これが訛ってつごもりとなったのです。
さいごに
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