植村明美
二十四節気。
日本には暦のうえで四季の移り変わりを決めている日があります。
季節の変化のうえで重要な日として、冬至や夏至、春分、秋分などがありますが、より細分化して24に分けたものを二十四節気と呼びます。
同じ太陰暦下でも江戸時代の寛政十年(1798)~天保十四年(1843)の46年間は寛政暦が用いられていて、平気法というやり方で二十四節気が決められていました。
これは1年を等分に24で分ける方法で、実際の太陽の動きは無視しているため、実際の季節と誤差が生じてきます。
対して天保十五年(1844、弘化元年)~明治五年(1872)の29年間用いられた天保暦は定気法というやり方で、こちらは太陽の視黄経を角度で24等分する方法です。
地球の北極がある側から見たときの、地球の自転軸の向きと太陽の位置関係を基にしています。
地球は自転しながら太陽の周りを楕円を描いて回っていて、太陽に近いときは速く、遠いときは遅いため、冬と夏の日数が同じになりません。
そのため、二十四節気のひとつの節気の間隔も同じにはならないのです。
そもそも季節というのは何故変化するのかということですが、これは地球が自転しながら1年かけて太陽の周りをまわっているからであります。
資料提供 国立天文台
しかし、注意すべきは太陽に地球が近づいたから夏で、遠ざかっているから冬ということではありません。
自転軸の向きは太陽に対して垂直ではなく、約23.4℃傾いています。
それで、北極側、北半球が太陽のほうを向いている時が夏、反対は冬ということになり、それがずっと繰り返されているということです。
冬至は北極側が一番太陽と反対側を向いていて、南中高度が低い日、夏至は北極側が一番太陽の側を向いていて、南中高度が高い日を指します。
その間の昼と夜の長さが同じくらいの日を春分、秋分と定め、冬至、夏至、春分、秋分が決められます。
そして、今日から春です、夏が始まります、という季節が始まるとされる日を立春、立夏、立秋、立冬としています。
その間もさらに細分化したものが二十四節気です。
資料提供 国立天文台
天保暦の後、明治時代に入り太陽暦が用いられるようになりますが、太陰暦の時にも、実際の四季と暦のズレを調整しようとしていたということに、すごいことだなあと感じます。
太陽と月、地球の関係と季節や時間の関連を認識している人が色々と研究し、工夫をしていたということでしょうか。
では、実際の二十四節気とその日の表す季節の意味をご案内します。
立春:この日より春。寒さも峠を越える
雨水:雪や氷が溶けて水になり、雪が雨になる
啓蟄:冬眠していた虫が這い出てくる
春分:真東から昇った太陽が真西に沈み、昼夜の長さがほぼ等しい日
清明:すべてのものが生き生きと清らか
穀雨:穀物を潤す雨が降る
立夏:この日より夏。夏の気配
小満:すべてのものが満ち溢れ育っていく
芒種:作物の種を植える
夏至:昼の長さが1年で最も長い日
小暑:暑気に入り梅雨の明けるころ
大暑:夏の暑さが最も厳しくなるころ
立秋:秋の始まり。秋の気配
処暑:暑さが収まる
白露:草に白露が宿る。秋の寂しさが訪れるころ
秋分:秋の彼岸の中日、昼夜の長さが同じくらい
寒露:秋が深まり、冷たい露が草木にみられる
霜降:寒くなり、霜が降りる
立冬:この日より冬。冬の気配
小雪:寒くなって雨が雪となる
大雪: 雪がいよいよ降りつもってくる
冬至: 昼が一年中で一番短い
小寒 :寒さが増してくる
大寒 :最も寒さが厳しい
また、二十四節気の他に、これを補う季節の変わり目の目安となるものとして雑節(ざっせつ)というのがあります。
良く知られている土用、節分、八十八夜、入梅、彼岸、半夏生、二百十日がこれに当たります。
出典・引用:国立天文台