内田絵梨
日本を代表する文豪・夏目漱石は作中で当て字を多用したことでも知られています。
「ロマン」という言葉に「浪漫」という漢字を当てたのが漱石だと知っている人も多いのではないでしょうか。
漱石の当て字は当時では一般的なものから、独自のものまで様々。
明治45年9月4日に弟子である岡田耕三に宛てた手紙にはこんな言葉が記されています。
端は俗語にては皆はじなり。文章にて「はし」と読む事もあらん。俗語を筆に上すときは先づ「はじ」と言葉を思ひ次に是を漢字にてあらはしたら何と云ふ字が来るだらうと思ひ漸く端といふ字が出て来る順序なり。去れば書いた本人から云へば「端」といふ字脚があつてそれを「はし」にするか「はじ」にするかの問題にあらず。まづ「はじ」といふ音あつて其音を何といふ文字で表現するから「端」になつた迄なり。従つて端といふ字はどうなつてもよき心地す。然し「はじ」は動かしがたき心地す。
乱暴に言ってしまうと、まず音があってその音を表現するために文字を当てるのだから漢字は何でも良い気がする、という意見です。
今回は頭の体操がてら漱石の使った当て字を見ていきましょう。
馬尻
『三四郎』に出てくる言葉です。
三四郎が馬尻の水を取り換に台所へ行ったあとで、美禰子がハタキと箒を持って二階へ上った。
馬のお尻……?
漢字の意味から考えると謎な文章になってしまいますね。
当て字だと考えるとどうでしょう?
正解の読みは「バケツ」です。
調色板
『三四郎』に出てくる言葉です。
描く男は丸い脊をぐるりと返して、調色板を持ったまま、三四郎に向った。
意味から考えるとなるほど! と思うはず。
読みは「パレット」です。
食い心棒
『坊ちゃん』に出てくる言葉です。
おれは脳がわるいから、狸の云うことなんか、よく分らないが、蕎麦屋や団子屋へ行って、中学の教師が勤まらなくっちゃ、おれみたような食い心棒にゃ到底出来っ子ないと思った。
食べることがその人の「心棒」なのですね。
言い得て妙だと思わせる当て字です。
読みは「くいしんぼう」です。
寸断寸断
『吾輩は猫である』に出てくる言葉です。
どこの雑誌へ出しても没書になる価値は充分あるのだから、頭脳の不透明を以て鳴る主人は必ず寸断々々に引き裂いてしまうだろうと思の外、打ち返し打ち返し読み直している。
すんだんすんだん?
音も状態も漢字にマッチしています。
読みは「ずたずた」です。
洋袴
『道草』に出てくる言葉です。
とに洋袴は薄茶色に竪溝の通つた調馬師でなければ穿かないものであつた。
洋服の袴。つまり読みは「ズボン」です。
焼麺麭
『永日小品』に出てくる言葉です。
主婦は自分に茶だの焼麺麭を勧めながら、四方山の話をした。
麺麭だけだと「パン」と読みますが、パンを焼いたものなので読みは「トースト」です。
御音信
『虞美人草』に出てくる言葉です。
「御音信が有りますか」
音信不通(おんしんふつう)などで使う音信は、手紙などによる連絡を指します。
そのため、読みは「おたより」です。
いかがでしたか?
『漱石先生の漢字500問答』という本も出版されるほど、漱石の当て字はまだまだあります。
夏目漱石の作品に触れる際には、ぜひ、漢字にも注目してみてくださいね。
おまけ
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